15.ゆとりを楽しむこと(900字)
かつて、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語が流行したことがありました。
近頃感じることですが、私たちは西暦2000年代に入り、また戦後60年を過ぎて、本当に公私の生活にゆとりを持てていると実感できているでしょうか。
先を見過ぎてはいないか、先の幸せを追い求めていないか。また、求めることばかりに夢中になって、味わうことを十分体験していないのではないか。次々に疑問が湧いて来ます。
そして社会も企業も学校も、老若男女も、改めて何かに突き動かされているのではないかと思えて来る昨今のご時世です。
私はヨーロッパを旅したことはありませんが、以前、旅行した人から「あちらには成熟した文化的な香がする街が多い。」「古い街並みを大切にしている。」という話を聞いたことがあります。
そこからは落ち着いた佇まいや住む人たちのゆとりを連想してしまいますが、翻って私たちが住むオフィス街や住宅街はどうでしょう。一部の古都(鎌倉や奈良等)や都市を除き、喧騒の只中にあるような街や家並みが非常に多いように感じられます。これも十全な都市計画を策定しないまま、開発を優先させた高度経済成長と効率重視の所産と言えるものです。
ところで幸せを求める対象は各人各様で一つずつ異なるものです。人は大きな夢を実現させようと思うとき、その夢を実現させるために必要な時期に集中して努力を傾けようとします。その一方、小さな夢だと、手に入れることが比較的容易なために手に入れても、それで満足できないという人間の習性(飽くなき欲求の追求)が働いてしまうことが考えられます。
東洋の心として「足ることを知る」という言葉があります。最近、私たちは分不相応のことを望み、叶えられずに苦しみ、焦ってさらに急ぐという悪循環を繰り返しているような気がします。今一度、言葉の意味を噛みしめて問い直したいと思います。
どうも思ったようにまとまらず、大雑把なままここまで来てしまいました。つくづく筆力の無さを痛感しました。
ゆとりは個人の感じ方の問題かもしれませんが、一度取り上げてみたいと思っていました。続きはまたの機会に譲ることにします。

4 Comments:
>分不相応のことを望み、叶えられずに苦しみ、焦ってさらに急ぐという悪循環を繰り返しているような気がします。
なるほど でも、叶えられず苦しんだり焦ったりする人は、分不相応とは思っていないんでしょうね。
なかなか、自分の分を理解できない人が多いって事でしょうか。
まずは「己を知れ」かもしれませんね。
今の収入
って考えたときに、例えば私より遥かに優秀で良い大学を出ている同い年の人が、収入的に数倍以上ある人、同じぐらいの人、半分ぐらいの人がいるんだろう。
でも、上には上がいるけど、下には下が入るのだから、自分が一番不幸と思ってはいけない
今日、ふとこんな事を考えながら自分を抑えている。分不相応な望みなのかも知れないけど苦しみ焦っても何も始まらない
他人の評価は、水物で業績が良くても全く評価されなかったり、業績が悪くても評価されたり
日々、腐らず自分の精一杯の仕事をすれば 必ず評価されると思うようにしています。
評価されない時は、どこか手を抜いているんだと思うようにし、評価されたときは、精一杯やれたのだと思うようにする。
評価は自分が一生懸命な時とは、タイミングが随分ずれて訪れるのだから・・・・・
ぺぺさん、お久しぶりです。
「己を知れ」というのも元々、東洋的な考え方ですね。
確かに自分の分を理解できない人が増えており、会話が通じないと感じるときがありました。これは国語力の低下が原因なのかとも思いますし、借物思考で済ませ、自分で考えようとしない人も増えているせいかもしれません。
ぺぺさん、
続いてのコメントもありがとうございます。
こちらは、給与に対する評価のことですね。
確かに他人の評価は水物という性格があり、前の上司はまったく評価が低かったのに、新しい上司は、見方が異なって、評価が上がったという話には枚挙にいとまがありません。
給与との関連で行くと、評価にはタイムラグがあり、仕事の成果より給与(昇給や昇格)は少し遅れてついて来るということで、その通りです。
それに対して、自分の評価は軸がぶれないだけに正確で、自分を誉めるというのが必要なことなんだというのは同感できます。私も励みにします!
Post a Comment
Links to this post:
Create a Link
<< Home